赤い疑惑もかすむ疑惑
昭和28年(1953年)の今日、6月13日付の中部日本新聞夕刊に、李香蘭こと山口淑子さん関連記事が掲載されていたので、131円で買って読んだ。
山口淑子に“赤い疑惑”
要するに、芸術家は思想的に共産主義っぽいから我が合衆国に入ってきちゃイヤンというリストに一方的にリストアップされていたため、いつまで待っても申請済みのビザが下りず、淑子ちゃん大ピンチ――という内容だ。
顛末は『李香蘭 私の半生』(山口淑子 藤原作弥/講談社1987)の「付 李香蘭と別れてのち」の章に詳しい。中部日本新聞の記事は、ハードカバー版375ページ8行目から3行にわたる下記の部分にあたる。
そこでとりあえずヨーロッパに渡ることにした。おりからベルリン映画祭に『戦国無頼』が出品されることになったので代表団の一員に加えてもらい、映画祭終了後、ノグチ氏とパリで合流することになった。
この渡欧が1953年6月13日18時東京空港(羽田)発の便だったようだ。
結局のところ、1954年9月にビザの発給を受けることができ、その渡米時にシャーリー・ヤマグチの名で出演したのが『House of Bamboo 東京暗黒街(竹の家)』だった。ずいぶんマイナーな映画だと思うが、今調べたらDVD化されていてびっくり。
わずか4面しかないこの夕刊、淑子ちゃん目当てで買ったのだが、1面の半分以上が国際記事だったり、ラテ欄にはラジオしか紹介がないのにその隣では中元大売り出しの記事にテレビ売り場の写真を大きく使ったり、石油コンロで自炊していたらガソリンに引火して火だるまになりましたという丹羽さんが病院のベッドに横たわる姿がしれっと掲載されていたり、結構読み応えがあった。
広告からも時代を感じられて興味深い。
トニー谷の実演。観たい。
そして“気のきいた贈物”といえば、これ。
福つづみ印のアルマイト バット(参考)。
「ヤァ、ボクは大きい耳の猫ダヨ! アハハハッ」
石景山遊楽園を笑えない大らかな時代だった、昭和28年。
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