瀋陽の夏2006
2006年5月1日から同年10月31日まで『2006中国瀋陽世界園芸博覧会』が開催されるそうで、2月6日に行なわれた説明会に行ってきた。
ウェブサイトの紹介文はあまりの機械翻訳っぷりで、なにがなんだかよくわからないのだが、要するに花博だ。
キャラクターは花ずきんちゃんではなく、中国では幸運を呼ぶ鳥と言われているカササギで、その名を「陽陽(やんやん)」。
愛・地球博で万博に目覚めてしまった方は瀋陽にGO! きっと混んでるぞ!(どないやねん)
説明会の来賓として現われた自由民主党幹事長の武部勤氏(画像中の矢印のお方)が、現地に友人がいるので個人で訪ねるつもりだったが結局のところ官費で訪問し大いに友好を深めてきたりして瀋陽には思い入れが深いのである、というようなことを前振りに、日中友好の深まりを期待するスピーチを行なった。そして5月1日の開会式にはぜひ出席したいと宣言してスピーチは締めくくられた。
「なぜなら、5月1日はわたしの誕生日であり、結婚記念日だからであります」
いや、そんな情報いらんから。
スピーチを終えた幹事長は降壇したその足で退席。そのあと説明された2006中国瀋陽世界園芸博覧会の内容はさっぱり頭に入らず、武部氏の個人的な記念日だけが頭に残ってしまった説明会だった。
さて、瀋陽といえば淑子ちゃん(李香蘭こと山口淑子さん)に縁の土地だ。
1933年、13歳の淑子ちゃんは幼少時代を過ごした撫順から、約50キロほど離れた瀋陽へと引っ越した。
瀋陽は当時奉天と呼ばれ、満州国で一番の都会だった。ここで淑子ちゃんは隣に住む父親の友人李際春将軍の義理の娘となり、同年2月の春節に李香蘭の名を得た。
終戦の際には命を救ってもらうことになる同い歳のロシア人リューバ・モノソファ・グリーネッツと遊んだのもこの街だし、リューバの紹介でオペラ歌手マダム・ポドレソフに師事することになったのも、奉天放送局のラジオ番組『満州新歌曲』で歌手デビューしたのも、」この奉天だ。
いわば、李香蘭誕生の礎が築かれた街、それが奉天(瀋陽)なのである。
瀋陽には、李香蘭に関係のある奉天時代の建物が今も残っている。
・平安座(瀋陽市文化宮劇場)
淑子ちゃんは家族でしばしばこの劇場に通い、淡谷のり子ショーもここで見たらしい。
・ヤマトホテル(遼寧賓館)
山口淑子としてマダム・ポドレソフの前座に立ち、奉天放送局の目に留まった。
・奉天放送局(遼寧人民広播電子台)
李香蘭が歌う番組が制作され、放送された。
・千代田小学校(瀋陽市教育学院)
リューバが通っていた。
2006中国瀋陽世界園芸博覧会に行かれる方は、せっかくなので巡回されてみてはいかがだろう。ただし、10年前わたいが行ったときはそれぞれ残っていたが、今もそのままあるのかどうかは知らない。
淑子ちゃんは2005年には劇団四季『ミュージカル李香蘭』の初日に登場されておられたようで、無事で元気に過ごされているご様子なのはなによりだ。
なぜ6日のネタを今アップしているかというと、今日2月12日が淑子ちゃんの誕生日だからであります。
淑子ちゃん、誕生日おめでとう!
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